011 定年後に見つけた音楽人生──定年後の趣味について考える
- 空苑
- 7月18日
- 読了時間: 6分
更新日:8月5日
こんにちは、空苑です。趣味は音楽です。
第9回のブログでは、「定年後のアイデンティティの再定義」や「ずっとやりたかったことをやること」の大切さについてお話ししました。 
さて、私にとって自分のアイデンティティの拠り所は、子どもの頃から一貫して音楽でした。
おかげで定年を迎えたとき、「さあ何をしようかな」と迷うことはありませんでした。 今回は、私の経験をもとに、趣味とアイデンティティの関係についてお話ししてみたいと思います。

初期衝動 ──陰キャがギターを手に取った日
しばらく自分語りにお付き合いください。
幼少期、流行歌やジャズ、クラシックなどが“薄く”流れる家庭で育った私ですが、テレビで歌謡曲やグループサウンズが全盛の頃になると、音楽は“聴くもの”から“演じるもの”になっていきました。
演じるといっても、いわゆる今でいうエアギターですが、なぜかギターも持っていないのに、CやFなどのコードの押さえ方は知っていたんです。
いつか本物のギターを手に入れたときに、すぐに弾けるためにと、当時芸能雑誌の定番だった「明星」や「平凡」の付録でついてくるギターコード付きの歌本をむさぼるように読んだ覚えがあります。
やがて洋楽にどっぷりハマり、必然的にビートルズを“発見”するに至ります。
そして念願の本物のギターを手に入れ、いよいよ独学で弾き始めました。 弦の張ってあるリアルギターは手強くて、エアのようにはいきませんでしたが、それでも夢中になりました。
当時の私は、運動部にも入らず、音楽もギターもひとりで家にこもって楽しむ、いわゆる「陰キャ」。
陰キャ(陰気キャラクター)って、一つのことを始めると集中力がすごいのをご存じですか?
私も指にマメができまくって、まさに血の滲むような努力を重ねました。
さて、そんなある日、どこで聞きつけたのか、中学の先輩から声がかかります。
「お前、ギター弾けるんだろ? 学園祭でオレさまのバックで伴奏してくれ」
“オレさま”と言ったかだけは、ちょっとあいまいですが、とにかく先輩がよしだたくろう(吉田拓郎と名乗る前ですね)を歌い、私はしぶしぶリードギターを担当することに。
決定的な原体験
これが、その後の私の人生を変える決定的な出来事となりました。
よしだたくろうの伴奏はビートルズよりずっと簡単でした。
なんとか弾ききったステージは、まさかの大喝采。 先輩はともかく、陰キャの伴奏役にも拍手がもらえるなんて、思ってもみませんでした。
その日からクラスメートや先生、先輩後輩たちの私に対する態度が、明らかに変わったのを鮮明に覚えています。
ここから「勘違い」が始まったんですね。
ロックにハマり、髪を伸ばし、エレキギター、バンド活動、ライブと、あるあるな音楽漬け生活に突入。 
勘違いもピークに達し、「俺、プロになるわ」と虚空の宣言。
当時、周囲には才能あるやつらがたくさんいて、中には後にプロとして有名になった人間も何人かいます。
 しかし、結局、彼らのような才能も覚悟も足りないことに気づいた私は、土俵から一歩引いて、気づけばサラリーマンになっていました。
これは日本の音楽界にとって大きな損失だったかもしれませんね(笑)。
……まあ、こんな話はいつの時代、どの分野にも「あるある」ですが。
音楽がもたらす人生のつながり
さて、「県大会決勝でまぐれのサヨナラホームランを打ったオレ」的な話はこのへんにして、ここからが本題です。
プロにはなれなかったものの、「楽器が弾ける」という自信は、私にとって大きな財産でした。
どうやら音楽をやっていることで勝手に“陽キャ”認定されるようで、こんな自分でも、なんとか一般社会に紛れ込んで、人間関係を築くことができたようです。
こういう面でも音楽には感謝をしております。
私に音楽の才能があったかどうか。
それはプロの審判を待たずして、敵前逃亡した私には分かりません。 でも、あの学園祭の日、拍手喝采をもらった原体験は、自分のアイデンティティの核として強烈に残っています。
過去の小さな栄光と言われればそれまでですが、
「誰にも負けないぞ」と思える趣味や特技を自分の中で意識することで、結果それがあなたのアイデンティティ形成に良い影響を及ぼすのなら結構なことかと思います。
音楽がいてくれてよかった
そして、定年後。 残ったのは、仕事やプライベートを通じて出会ってきた音楽仲間たちでした。
改めて今、自分のアイデンティティをブレさせずに守ってきたことを、誇りに思っています。
それは音楽に限りません。 ゴルフ、アウトドア、食べ歩き、野球、釣り、ダイビング、地域の活動、山歩き……どんなつながりでも同じ。 
あなたのアイデンティティが人とつながる力となり、定年後も“無重力状態”にならずに、自分の軸をもって泳いでいける力になると思います。
夢はプロミュージシャン ──定年後の趣味を活かす
私のかつての夢は「プロのミュージシャンになること」、とお話ししました。
昔のバンド仲間の中には、その後プロになって音楽界で大成し、いまも重鎮として活躍している人が何人もいます。 彼らは私がサラリーマンをしている間も、血の滲むような研鑽を続け、今の地位を手に入れてきたはずです。 でも、私も定年という節目を越えたいま、 「一度は夢だったプロの端くれになってみたいな」 という気持ちが芽生えてきました。 私の場合は、それが定年後に始めた、コンピューターを使ったDTM(デスクトップミュージック)で、今はBGM用の曲を制作し、販売しています。 音楽でずっと飯を食べてきた人からしたら「プロを舐めんなよ」と言われそうなレベルですが、「音楽で収入を得る」という夢を少しずつ形にできている喜びはあります。
第3回で「定年後はやりたい放題」というテーマを書きましたが、定年後の趣味、「自称ミュージシャン」は、そんなささやかな“放題”として許してもらえますかね。
遅すぎることはない
私はたまたま若い頃から楽器に触れてきましたが、何かを始めるのに“遅すぎる”ということはありません。
もちろん、体力や年齢の制約・制限がある分野もあります。
でも、自分に合った目標を立てれば、あとは行動力と熱量の問題です。
私もいつか胸を張って「プロミュージシャンです」と言える日を夢見て精進します。
「あなただけのプレミアムイヤーズ」を輝かせるために、あなただけのアイデンティティを確立して、ぜひアクションを起こしてみてください。
無理しない、諦めない。 ハイエイジ、ハイライフ。
また次回!



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