019 “ほどよく持たない暮らし”— シニア世代のミニマリズムと心の余白の見つけ方 (前編)—
- 空苑
- 12月2日
- 読了時間: 4分
断捨離との葛藤 — ため込みやすい年齢になって気づいたこと
年齢を重ねるにつれ、気づかないうちに家の中に物が増えていませんか。
思い出の品や「いつか使うかも」と取っておいた物が、押し入れやクローゼットに眠っていることも多いものです。
「いっそ全部断捨離してしまえば気持ちいいだろうな」という心と、「どれも思い出の品だから手放せない」という気持ち。その間で揺れる日々は、きっと多くのシニア世代に共通しているはずです。
今回は、そんな私たちにとっての「断捨離」について考えてみたいと思います。

シニア世代のミニマリズム — ほどよく持たないという選択
「ほどよく持たない」——この言葉には、肩の力がふっと抜けるような軽やかさがあります。 近年、ミニマリズムという言葉が広く知られるようになりました。
シニア世代のミニマリズムは、若い人の説くそれとは意義もやり方も違うかもしれませんが、“自分なりのミニマリズム”が心と暮らしを豊かにしてくれる、と私は感じています。
長く生きていると、それなりに多くのモノが身の回りに蓄積されます。
必需品、思い出の品、そして私は自分にとっての黒歴史となるものも、なぜか捨てられません。
でも、それらはすべて自分の人生を彩ってくれたモノであり、簡単に優劣をつけて手放すことに抵抗があるのは自然なことです。
「今日こそ断捨離を!」と意気込んでみても、
あれも、これも、やっぱり、いちおう、いつか要るかも……
そして、「ああ、これはあの時の!」と思い出がフラッシュバックするたびに捨てられず、時間が過ぎてしまう。
私の場合、断捨離の失敗はたいていそんなところでしょうか。
「押し入れの奥深くにしまう」のと、「思い切って捨てる」とでは、心理的なハードルはまったく違います。
しかし、そんなふうに何度も断捨離の失敗をしながら考えるのです。
自分にとってかけがえのないモノ、かけがえがないと思い込んでいるモノでも、家族や他人にとってはただのガラクタかもしれない。
いざ旅立ちの時に、そんなガラクタの遺品整理を家族にさせたくない。見られたくない物だってあります。私にもあります。
もう「我去りし後」のことを考える年齢になってきて、ここらへんで少し身軽になってみるのも悪くない。そんな思いが静かに芽生えてきました。
もちろん、やけになって何もかもを手放す必要はありません。
ここはひとつ、「風のように身軽になった明日からの自分」を思い浮かべることで前向きのモチベーションを保ちましょう。
手放すことの意味 —心が軽くなったのはなぜか
私もそうでしたが、整理を始めた方がよく口にされるのが、「手放してみると、気持ちが軽くなる」という言葉です。
物が少し減るだけで生活動線は整い、探し物が減り、掃除もしやすくなる。手放すという行為が、私には意外なほど前向きに感じられたのです。
ミニマリズムは、「何も持たない暮らし」ではありません。
「何を持つかを自分で選ぶ暮らし」。今の私はそう思っています。
ミニマリズムがくれる心の余白 —私が感じた変化
不思議なことに、物が減ると心にも余白ができました。
朝、視界に余計なものが入らないだけで、一日のリズムが整います。
本当に必要なモノや人、時間が、ふっと浮かび上がってくるように感じました。
何かを手放したとき、そこを通り抜ける風はすきま風ではありませんでした。
むしろ人生の輪郭が整っていくような、そんな感覚を覚えたのです。
無理しないミニマリズム — 後編では具体的なやり方を
テレビや雑誌のミニマリストの部屋は、極端に物が少なく見えるかもしれません。
けれど、それは“その人にとっての最適”。私たちがそのまま真似する必要はありません。
ミニマリズムの本質は、「身軽になって、自分の進みたい方向へ歩けるように整えること」。
過去でも未来でもなく、“いま”の自分がすっきり呼吸できる暮らしへ。
ほどよく持たず、ほどよく楽しむ。
そんな軽やかなミニマリズムが、あなたの暮らしに優しい追い風を運んでくれますように。
後編では、そんな私が何度も断捨離の挫折を重ねながら、どんな工夫で“ほどよいミニマリズム”に近づいていったのか、私なりの具体的な方法をお話ししようと思います。
頑張らない、諦めない、ハイエイジ・ハイライフ!



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