002 丁寧な老後 “ちゃんとする”ことが人生の品格をつくる
- 空苑
- 6月5日
- 読了時間: 4分
更新日:12月3日

こんにちは、「私だけのプレミアムイヤーズ」、空苑です。 第2回ですね、
今回のテーマは、ブログのサブタイトルにもある「丁寧な老後」。
突然ですが、子供のころこんなことを言われた記憶はありませんか?
「ちゃんとしなさい!」――よく親から聞かされた言葉ですね。
でも、ふと気づけば、私たちは“いい大人”ならぬ“いいシニア”と呼ばれる世代になったのに、意外と「ちゃんとしてない」人、多くないでしょうか? キレる、自分勝手、不潔、話を聞かない……。 まず自身へも問いかけねばですが。
年齢とともに“雑”になっていく理由とは?
年を重ねると、暮らしや振る舞いが雑になってしまうことがあります。
これは単なる性格の問題ではありません。
脳科学の分野では、前頭前野の萎縮が高齢者の衝動性や注意力の低下に関係しているとされています。
加齢にともなう脳の変化はなかなか抗い難いものですが、かと言って放っておくわけにはいきません。
皆さんも自身のこんな「心のゆるみ」に覚えがありませんか?
「体力的にしんどいし、まあいいか」
「今までも何とかなってきたから、まあいいか」
「誰も見てないし、まあいいか」
「とにかく年齢のせいにして、まあいいか」
こんな言い訳を並べて雑にやり過ごしてしまう、どなたにも経験ありますよね。 でもその「まあいいか」の蓄積が、人生の質をじわじわ下げていくのです。
自分で自分を律する 「サードステージ」の覚悟
現役のころは会社や家庭において「やらざるを得ない」場面の連続でした。 課題は、嫌でも毎日向こうからやってきました。
しかしシニア世代になると、そういうことから解放されます。裏を返すと誰かが目標やご褒美を用意してくれることはない、ということです。
ここから先は、自分で自分を律するしかない。
だからこそ、「丁寧な老後」が価値を持ってくるのです。
私自身、ちゃんとしてこなかった歴60余年を誇る人間です
いま、ようやくこの歳で、目標は自分で作らなければと意識するようになった戯け者です。
過去幾度となく繰り返してきた“Plan-Do→挫折”の失敗を踏まえ、
今は出来るだけ小さな目標を毎日掲げて、こつこつ達成するようにしています。
例えば:
「今日は、いつもより丁寧に歯を磨こう」
「今日は、誰にも会わないけど、靴をピカピカにしよう」
「今日は、一日口角を上げて過ごしてみよう」
「今日は、使ったものはその都度元に戻そう」
「歯磨けよ」とか、ドリフのエンディングなみに小学生な課題ですが こんなちょっとした達成感の積み重ねが、私の生活がこれ以上雑にならないためのセーフティネットになってくれています。 課題の設定はそれぞれにお任せしますが、これは頂点のゴールを目指す壮大なRPGではなく、達成感という小さなコインを1つでも多く集めるゲームですので、できるだけイージーな目標をたくさん設定するのがよいでしょう。
「老害」と呼ばれないために──アップデートし続ける覚悟
近年、「老害」という言葉が話題に上ることも増えました。 高齢者に対して厳しい目が向けられている現実も知っています。
でもいま老害認定されている高齢者も、もともとは社会を支えてきた立派な人たちだったはずです。 いや、私だってつい最近まで老害を糾弾する側だと思っていましたから。
にもかかわらず、加齢の影響も伴って、マナーやコミュニケーション力の劣化が進むと、世間の感覚との乖離が気づかない間に大きくなっていきます。
“自分は高齢者だから仕方ない”と逃げるのではなく、今まで以上に意識して丁寧に人や物事に接する。
そう、「意識して丁寧に」という部分が大切です。
無意識無自覚のままでは、迫りくる老化の流れに巻き込まれて、知らぬ間に老害人間に変身してしまうのです。
「丁寧な老後」は、人生の品格と誇りを取り戻す旅
違う世代に無理に迎合する必要はありません。
「迎合」の反対は「敵対」だと思い込んで、ついファイティング・ポーズを取ってしまう私は、まだまだ“老人としての修業”が足りないです。
自分のことを鑑みるに、若いころ高齢者に厳しい目を向けていた人ほど、いざ自分が高齢者になると若者と対立するような気がします。
昔の自分を見ているようで腹立たしいという、いわば同族嫌悪的な感情から来るものなのでしょう。
……と自己分析できている分、私はまだ更生の余地があるのかもしれません。
コミュニケーションも、日常の課題も、
「ちゃんとした老人」を目指して、品格を育てる旅はまだまだこれからです。
これからも空苑のこのブログでは、自分への備忘録も兼ねて、残された人生の「プレミアムイヤーズ」を丁寧に過ごすためのヒントを綴っていきます。

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