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010:断捨離されたのは自分だった――定年後の人脈の本質に気づいた日

  • 執筆者の写真: 空苑
    空苑
  • 7月12日
  • 読了時間: 7分

更新日:12月3日


こんにちは、空苑です。


今回は「人脈」というテーマで、定年を迎える前後で私の人付き合いがどう変わったかを振り返ってみたいと思います。


  人脈とは?定年後に見直す“つながり”の意味  


みなさん、長い人生で実にたくさんの人と出会ってこられたと思います。

人との出会いは間違いなく人生の宝物だといえるでしょう。

ただ「人脈」と聞くと、友達や仲間とは少し異なる、利害関係に基づいたどこか打算的な、ビジネスライクな関係を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

私もかつてはそう感じていました。


もちろん、ビジネスにおいて豊富な人的ネットワークを持っていることは、大きな武器になります。


人脈が広がれば、適所に適材を配置するための選択肢も増え、結果、プロジェクトの成功の可能性も高まります。


自分に足りないスキルを補ってくれたり、思いがけないビジネスチャンスをもたらしてくれることもあるでしょう。


ビジネスマンにとって「人脈」は、確かに大きな財産です。



片手に名刺、もう一方の手にスマートフォンを持って過去と現在の人脈を思うシニア男性
generated by Midjourney ※画像はイメージです

  現役時代の人脈観:「顔の広さ=力」 


現役時代の私も、「顔が広い」ことが一種のステイタスだと思っていました。

誰を知っているか、どこに顔が利くか、それがまるで実力の証明であるかのように錯覚していたのです。

あるいは、それが自分を実力以上に大きく見せるためのツールだったのかもしれません。


当時はまだSNSも普及しておらず、異業種交流会や飲み会などに足を運んでは、せっせと名刺を配り、メールや手紙でコンタクトを取り続けていました。

「人脈の拡大と維持」に必死になっていたわけです。


確かに、仕事を進めるうえで、良質な協力者やビジネスパートナーをたくさん知っていることは大きな力になりました。


「あの人とつながっている」というだけで助けられたり、一目置かれたような場面も少なくありません。

人に人を紹介するだけで、どんどん新しいネットワークが生まれていきました。


ですから、人脈作り自体が黒歴史だったとは思っていません。


当時の行為は、いわば「人脈ロンダリング」みたいなものでしたが、

そういう時代、そういう年頃、そしてそういう“空気”だったのだと思います。



  名刺で繋がる人間関係  

若い頃は、仕事を通じて知り合った仲間と、飲み会やゴルフ、スポーツ観戦などプライベートでも楽しくつきあったものでした。


しかし、やがてお互いの年齢や地位が上がるにつれ、自分にも相手にも次第に「組織を背負った自分」という意識が生まれ、付き合い方にも変化が生じてきます。


「名刺でつながっていた関係」は、退職とともにあっけなく消えてしまう——そんなことをよく耳にしますが、異動や役職定年でも、相手との距離感が急に変わる経験をされた方も多いのではないでしょうか?


実際、私自身も相手の肩書きが変わったとき、その人を違うフォルダに仕分け直すことがありました。 元々名刺から始まった関係、その人の立場ありきでつながっていた関係ですから、ある意味仕方のないことですが、自分もやがて定年を迎え、「ただのオッサン」になったときは、同じように仕訳けられるのだろうと思うと、一抹の寂しさを感じるようになりました。


ある日スマホの連絡先がパンパンになり、「これ誰だっけ?」と自分でも整理がつかなくなったのを機に、「人脈自慢」をやめ、人脈の“棚卸し”を始めました。


本来、仕事を円滑に進めるための手段のひとつにすぎない人脈が、いつの間にかコレクションのようになっていたことに、ようやく気付いたのです。




  定年後に本当に残った人間関係とは?  

「棚卸し」という表現は、少し無礼かもしれません。

もちろん在職中に知り合った方々は、私にとってすべてかけがえのない財産ですし、出会わなければよかったと思う人など、誰一人いません。


ただ、「棚卸し」をしてみて改めて気づいたのは、多くの名刺上の付き合いの人たちの中で、数は少ないですが会社や肩書きを超えてつながっていた人たちの存在でした。


  • 仕事を通じて意気投合し、その後立場が変わってもプライベートの付き合いが続いた人

  • プロジェクトの修羅場を共にくぐり抜け、妙なシンパシーで結ばれし仲間たち

  • 落ち込んだときに、立場を超えてそっと支えてくれた人

  • 社内外の音楽仲間と組んだバンドのメンバー

  • そして、仕事とは全然無関係の場で出会い、意気投合した人たち


こうした人たちとは、肩書きが外れても自然につながり続けられる、そんな気がしましたし、実際今でも親しい関係が続いています。




  ノンタイトルの自分が築く新たな人間関係  


定年を機に、私は“人脈自慢”をやめました。

会社で集めた名刺の大半はシュレッダーへ。

会社スマホも返納・解約しました。

これは会社の規定でもありましたが、そんななかでも本当に大切な人の連絡先はプライベートスマホに移しました。


最終的に残ったのは、最もイキっていた頃の10分の1にも満たない件数。

これが、私の「サードステージ」の人脈になったのです。


「断捨離」…いえ、むしろ断捨離されたのは私自身かもしれません。


定年を経験した方なら実感されていると思いますが、定年後、現役時代の関係者からのお誘いは徐々に減り、距離もよそよそしくなっていくものです。

場合によっては、パタッと音沙汰がなくなることもあります。


「ああ、断捨離されちゃったな」と思う瞬間です。


会社や肩書きといったバックボーンがなくなっても、「断捨離されない人間」になるためには、裸の自分の魅力を磨く必要があるな――そう心に決めました。



  今日までそして明日から  


引退した者と現役世代との間には、自分が思っている以上の距離があるものです。


思い出してください。あなたは現役だったとき、元上司やOBとの食事で、毎回聞かされる知らない昔の武勇伝にうんざりしたことはありませんか?


本人は気分よく話していても、相手は気を遣って聞いてくれているものです。


もはや上司でも先輩でも取引先でもない「ただの年輩者」である私たちと、相手は微妙な距離を感じながら対峙してくれているのです。


でも悲しいかな、今の自分に新鮮な魅力がなければ、知らず知らずに昔話に話題を求めてしまうのです。


だからこそ、「今の自分」「これからの未来の話」ができるように、自分自身をアップデートしていかなければならないと痛感しています。


壊れた蓄音機のようにならぬように…




  趣味や価値観でつながる“定年後の人脈”  


さて、私にとって、音楽という趣味を通じた出会いは、定年後も大きな財産です。

共通の価値観と熱量を持つ仲間たちは、肩書きや立場を超えて、自然で心地よい関係を築かせてくれます。


音楽が私の人生に与えた影響については、また別の機会にお話ししますが、こうした利害を超えたつながりこそ、定年後の私たちにとって本当に必要なものだと実感しています。


現役時代ほど頻繁ではないかも知れませんが、サードステージにも新たな出会いはあります。

以前のブログでも書いたように、新しい趣味にチャレンジするのも一つの方法です。

SNSなどを通じて、あなたなりの新しい価値観を発信、共有することで、これまでとは違った仲間ができるかもしれません。


もちろん、そこで出会う人たちは、現役時代のあなたを知りません。


だからこそ、「ただの人」として自分がどう見られるか、ありのままの自分にどういう魅力があるのかを試すための勝負をしてみても面白いのではないでしょうか。



  最後に  


人脈とは、単なるコレクションではなく、価値観を共有できる仲間であるべきです。

定年を迎えた今、私はようやくその本質に気づいたように思います。


これからは肩の力を抜いて、“今の自分”でつながる縁を大切することが定年後の人脈の本質かではないか思います。

無理しない、諦めない  ハイエイジ、ハイライフ!


また次回!


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