008 定年 ── 自由の光と影 ──
- 空苑
- 7月3日
- 読了時間: 5分
更新日:12月3日
こんにちは。プレミアムイヤーズ空苑です。
このブログは、定年退職を経て人生のサードステージに入ったわたくし空苑が、今後シニアとしての余生をどう処していくか──その記録として、自分自身の備忘録を兼ねて綴っているものです。
今回は定年後の生活で思うところ、楽しかったり、こんなはずじゃなかったり、のリアルを語ってみようと思います

定年後の肩書の喪失と自由のリアル
私は今でも、現役時代の部下や後輩たちと食事をする機会があります。 自分の中では“永遠の若手”と思っていた彼らも、いよいよ定年を視野に入れる年齢になってきました。 そんな彼らから最もよく聞かれるのが、「毎日、どうやって過ごしているんですか?」という問いです。
「定年後の生活は自由だし、何をしてもいい。何もしなくても、誰にも咎められませんよ」
そんな話をすると、決まって返ってくるのは──
「いいですね」
「悠々自適ですね」
という反応です。
そういえば、同年代の自営業やフリーランスの友達からも、同じような質問がくるようになりましたね。彼らには決まった定年はありませんが、そろそろどこかで引き際を見極める年齢になってきたのでしょう。
みんな一足先に定年後の生活に入った私の日常に興味津々です。
日常というより、たぶんメンタルの保ち方を知りたいのかもしれません。
確かに、長年会社や仕事という引力圏の中で生活を組み立ててきた現役世代にとって、いきなり訪れる“無重力状態”は想像しづらいかもしれません。
「空苑さん、“無重力”ってどんな感じですか?」的な意味合いの質問でしょうね。 でも、それは宇宙飛行士から無重力の話を聞いても、いまいち実感が湧かないのと似ています。
私自身も、「中の人」になるまではまさにそうでしたし、今でもこの浮遊感をうまく言葉で伝えることは難しいです。
そんなことより、その無重力のような状態って、本当の“自由”なのでしょうか?
「今日から自由だ!」
定年を迎えたみなさん、あるいは、まもなく迎えるみなさん──本当に長い間、お疲れさまでした。よくぞここまで走り抜けてこられました。
ちょっと上から目線で恐縮ですが、一足先にゴールした者として心から賛辞を贈りたいと思います。
「会社を辞めた!今日から自由だ!」これは、定年退職や早期リタイアを迎えた多くの方が、最初に抱く素直な思いではないでしょうか。
早起き、満員電車、上司や部下との人間関係、数字や成果に追われる日々、接待の深酒── そうした日常からすべて解放され、好きな時間に起きて、好きなことをして過ごす。 そんな暮らしが目前に広がっていることを思えば、ワクワクするのも当然です。
肩書がなくなった瞬間
サラリーマン、自営業者、経営者──職業の違いはあっても、仕事を辞めた瞬間、あなたにぶら下がっていた「肩書き」や「所属」といった“タグ”はすべて剥がされます。
名刺や社員証もいらなくなる。これが、待ち望んでいた「自由」です──
会社員に限らず、フリーランスや専業主婦・主夫なども、全て社会が必要とした“肩書き”ですから、それがなくなってしまう時が来れば、そのインパクトは小さくありません。
振り返れば、私たちはずっと、学校、会社、団体など、何らかの「コミュニティ」に所属し、「〇〇会社の〇〇です」「〇〇高校の〇〇です」と自己紹介してきました。 名刺や社員証、学生証といった“タグ”が、私たちの立ち位置を可視化してくれていたからです。
所属からの解放=定年後の光と影
しかし、定年を迎えて所属がなくなると、それに付随していた“人との関わり”もまた変化します。
会議、雑談、ランチ、時には軽く一杯──現役時代は日々のルーティンだった人との関わりが、まるでスイッチを切ったかのように一気に消えていくのです。
確かに、定年後は好きな時間に寝て、起きて、たっぷり自由な時間がある。 けれど、ある日ふと、こんな思いが頭をよぎります。 「自分は、いまどこで社会とつながっているのだろう?」
そう、定年後の「自由」と、「孤独」は隣り合わせ、光と影の関係だったのです。
「私は何者なのか?」という問い
たとえば、定年後に出会った相手から名刺を差し出されたとき、あなたはどう名乗りますか?
「無職です」「隠居しています」「自由人です」……どれも、なんだかしっくりこない。
長年、肩書きに支えられていた人ほど、その“タグ”を失った瞬間、自分が「何者でもなくなった」という事実に戸惑い、呆然とします。
そう、もはや私たちは「何者でもない」のです。
自分のアイデンティティを再定義する作業
定年後、最初に直面するのはこの「自分は何者だったのか、そして今、何者なのか」というアイデンティティの再確認です。
もう、あなたにはかつてのような“タグ”はぶらさがっていません。 再雇用で新たなキャリアを歩み始めた方は、それが今の“タグ”になるでしょう。
しかし、もしそれが現役時代より“格下”に映るようなものであれば、自分自身のアイデンティティに揺らぎを感じることもあるはずです。
過去の栄光を手放せず、「元・〇〇株式会社〇〇本部長」などと、退職した会社名(名の通った大手企業)とかつての最高位の役職を刷り込んだ自作の名刺を配る人もいるくらいです。
でも、たとえ「無職」「隠居」といった言葉に抵抗があっても──それが今の、正直なあなたの“タグ”なのです。
「もう自分は何者でもない」 Nowhere manです。 まずその事実を受け入れ、今の自分の“現在地”を確認すること。 そこから新たに、自分自身の価値を築いていくこと。
それこそが、定年後の自由を本当に意味あるものにする道ではないか──そう思います。
少なくとも私はそう心がけていきたいと思います。
次回は、「何者でもなくなった自分」の楽しみ方について、私なりに綴ってみたいと思います。
頑張らない、諦めない ハイエイジ、ハイライフ!



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